TPCISS Home Page [[ Case Presentation CaseT960803]]

Home

【腹部刺創 ???-???x?】51歳/女性 []

<現病歴> <来院時理学所見> <来院時X線所見> <来院時検査所見> <経過> <コメント> 
【現病歴】

  13:00頃、風呂場で腹部から血を流してうずくまるように倒れている妻を夫が発見し救急車を要請した。発見時には顔面蒼白であったが応答はあり意識は清明だった。そばに包丁が落ちていた。救急車到着時には、意識清明、BP 124/mmHg、HR 98/min、呼吸数 18/min

  覚知  13:24
  現着  13:33
  搬入  13:58

【既往歴】

  2〜3年前より更年期障害と思われる不眠、背部痛などを訴えていた
  本年6月に心窩部痛があり近医に1日入院精査を受け軽い膵炎と言われた
  この1週間ほど友人関係、自分の健康状態のことでイライラしていた

<GO TOP>

【来院時身体所見】

  意識清明、BP 130/84、PR 127/min、RR 21/min、体温 37℃
  胸腹部に合計8箇所の刺創が見られる。体表への出血は大量ではない。
  腹部は膨隆し、圧痛強くRebound tendernessは明らかでない。
  呼吸音に左右差はなく心雑音はない。
  搬入時の腹部エコー検査でMorrison窩に明らかな液体貯留を認める。

  刺創は、それぞれ長さ約2〜2.5cm、左前胸部乳房上内側、心窩部に平走し2条、上腹部正中、左側副部に2条、臍右側、右季肋下の8箇所に見られ、上腹部のものは明らかに腹腔内に達している。搬入時、腸管および大網の脱出は見られない。上腹部および左側腹部の刺創部は腹圧により膨隆する。

<GO TOP>

【来院時X線所見】

  胸部X線検査では、血気胸の所見は見られない。
  腹部X線検査では、腹部正中に多量のfree airを認める。

<GO TOP>

【来院時検査所見】

血算
RBC 375 x10^4/cmm(370-560) Hb 12.2 g/dl(11-17) Ht 35.5 %(33-44)
WBC 16900 /cmm(3000-9000) Plt 24.0 x10^4/cmm(15-36)

生化学
TP 6.2 g/dl(6.5-8.2) TBil 0.3 g/dl(0.1-1.2)
AST 16 U(7-21) ALT 13 U(4-17) LDH 363 U(140-360)
Alp 150 U(100-280) Amy 206 U(62-218) CK 67 U(35-170)
BUN 9.3 U(8-17) Cr 0.8 U(0.5-1.3)
sNa 139 mEq/L(135-150) sK 4.1 mEq/L(3.5-5.3) sCl 102 mEq/L(96-107)
BS 282 mg/ml(60-120) CRP 0.1 (<0.3)

<GO TOP>

【経過】

 腸管および大網の脱出はないが、腹腔内に達している刺創が1箇所だけではなく、腹腔内の出血がエコーで明らかで、腹部X線より多量の腹腔内free airの存在することから、腹腔内臓器損傷の可能性が高いばかりでなく、腹圧により刺創部が膨隆することから腹壁ヘルニアとなっているため開腹術を要すると判断し、同日15:15より緊急手術となった。

手術所見:

 心窩部および臍右側の刺創4ヶ所を結ぶ線上で上腹部正中切開により開腹した。腹腔内出血は少なく、腹水の混濁は認められない。腹腔に達する刺創は5ヶ所あり、上腹部のものと左側腹部からは大網が皮下まで脱出している。

 腹腔内臓器損傷を検索すると、胃体部大弯に5〜7mmほどの損傷が見られた。同部からNGチューブが脱出してきたことから穿孔していることが分った。さらに、大網を切開し盲嚢を開くと、この創は胃壁を後壁まで貫通している。膵、十二指腸および横行結腸壁には損傷を認めなかった。十二指腸下行脚外側では後腹膜に血腫を認め、Kocher maneuverを行い十二指腸損傷を検索したが、十二指腸には損傷を認めなかった。Teize靭帯より全腸管の損傷を検索したが、腸管には損傷を認めなかった。後腹膜の血腫は腸間膜正中部に広がり、腸間膜右側および左側にそれぞれ3〜4cmの腹膜損傷が認められた。同部を開き検索したが、明らかな出血源は認められなかった。損傷部を修復し、腹腔内を洗浄、閉腹して手術を終えた。

 術後経過は良好で、術後2日目にはICLT(精神科)のコンサルテーションを受け、また搬入時の腹部CT検査で左腎盂の拡張が見られていたので泌尿器科の診察を受けた後、術後10日目に自宅退院となった。

<GO TOP>


【 Comment 】
< 腹部刺創 abdominal stab wound >

 本邦では外傷のうち鋭的外傷は比較的少ない。特に銃創は少なく、鋭的外傷のほとんどは刃物(包丁、ナイフ)によるものである。しかし、近年銃創や加害による刃物の刺創が増加しつつある。

 「切腹」の観念から本邦では自殺手段としての腹部刺創は少なくないが、腸管や大網の脱出など見た目の派手さに比して幸い完遂率は低い。これは、自殺目的では上腹部正中付近を刺すことが多く、前上方から左右下方に刃先を向け、覚悟して緊張させた腹壁を貫通しなければならないため腹部大動脈・下大静脈や上腸間膜動脈、脾動脈、肝動脈など主要大血管に当たる確立が少ないためと思われる。

 通常、自殺企図では「ためらい傷」と言われる小さな傷を数カ所伴うことが多いが、腹腔に達する刺創が何カ所もある場合は、何らかの精神疾患を持ったものが多い。特に精神分裂病の患者では、何カ所も腹腔に達する刺創を作り、脱出腸管をも切るような行為が見受けられる。
 この症例でも、腹部刺創は8ヶ所にものぼり、5ヶ所もが腹腔内に達していることから精神疾患の存在を考慮しなければならない。術後、ICLT(精神科医)の診察によりこの患者は「鬱病」と診断されている。

腹部刺創での注意点

  • 腹腔内に達しているかの確認
     創部を消毒し、清潔な手袋で創底を確認

  • 脱出内容(腸管)の処理
     腸管の脱出があれば手術の適応となる。通常無麻酔で環納することは困難

  • 腹腔内出血の程度
     出血性ショックであれば手術の適応。エコーで腹腔内出血の程度を経時的に観察。増加してくるなら手術の適応となる。

  • 腹壁からの出血
     馬鹿にならない量のことがある。特に、腹直筋を横断する刺創では出血点を確認し結紮止血を要する。

  • 胸部刺創のことがある
     刺入部が腹部でも刃先が胸腔内に達していることがある。胸部の聴診、胸部X線を怠るべからず。手術にあたっては気胸に注意

開腹の適応

 1ヶ所だけの腹腔内に達する腹部刺創では必ずしも全例が開腹の適応となるわけではない。

  • 開腹しない場合
    • 腹腔内に達する刺創が1ヶ所である
    • 腸管の脱出がない
    • 腹腔内出血がないか、少量であり増加がない
    • 肝、膵、腎など実質臓器損傷のないことが腹部CTやエコーで分っている
    • 腸管損傷の可能性が少ない
    • 厳重な経過観察ができる
      • Vitalが安定している(出血性ショックでない)
      • 腹腔内出血の増加がないか
      • 腹膜刺激症状の出現がない
      • 炎症所見の悪化がない(発熱、WBC,CRP)
  • 開腹する場合
    • 腹腔内臓器が脱出している(大網の一部だけではその限りでない)
    • 腹腔内に達する刺創が複数箇所ある
    • 多量の腹腔内出血 (出血量が増加しつつある)
    • 実質臓器の損傷が明らか
    • 腸管損傷の可能性が高い (消化管内容物らしいものが見られる、匂う)
       (NG-tubeから血性の排液が引ける)
    • 腹膜刺激症状が強い・強くなる (Rebound tenderness)
    • 厳重な経過観察ができない (すぐに手術できる体制にない)

手術時の注意

  • 刃先はどこに向かうかわからない。刃先がどこまで達しているか必ず確認する。
  • 上腹部では必ず盲嚢を開いて確認する (膵、十二指腸、横行結腸間膜)
  • 必ず全腸管・腸間膜を検索する (食道から直腸まで)

精神的問題に対する治療

 自殺企図によるものは必ず精神科のコンサルテーションを依頼する

<GO TOP>



Home Page
帝京大学救命救急センター
Trauma and Critical Care Center,
Teikyo University, School of Medicine
鈴木 宏昌 (dangan@ppp.bekkoame.or.jp)
Hiromasa Suzuki, MD
Copyright Notice