無実の「携帯電話」
まさに1990年代はメディアの時代と言えるだろう。今ご覧になっているインターネット・イントラネットが急速な勢いで普及し始めたのも1990年代に入ってからである。今や新聞広告も、電車の中刷り広告もインターネットのホームページのURLが書かれるようになった。10年前に、このような時代が来ることを誰が想像できたであろうか。 「ひろし、今暇?」 「チョット塾の前にミスドしない?」 「じゃ、後でね!」 などという会話を道を歩きながら「携帯」してる姿も珍しくない。値段のことは兎も角、最早「携帯」は極当たり前の「会話ツール」になりつつある。つまり、会話する相手が目の前に見えないだけで、お互いに会話するツールなのである。
確かに、ところ構わず「携帯」されるのは迷惑である。会議中、授業中、コンサートホールや図書館など、本来「会話」することが迷惑な場所で勝手に「携帯」されるのはたまったものではない。最近では、こうした公衆の場所で携帯電話を使えなくする「妨害電波発生装置」まで登場した。 迷惑なのは携帯電話ではなく「会話」のはずである。確かに携帯電話の呼び出し音は電子的なかん高い音で耳障りではあるが、今では「エチケットモード」を備えている機種が多い。まして、こちらから掛けるときには電子音はしない。迷惑なのは会話であって「携帯電話」なのではない。携帯電話な相手が見えないだけで、音としての迷惑は「会話」なのである。電車の中や喫茶店で「他のお客様の迷惑になりますので、お喋りはお控えください」とアナウンスするだろうか。確かに、電車の中で本を読んでいるときに近くで「だべ」られるのは大変迷惑である。むしろ「他のお客様の迷惑になりますので、お喋りはお控えください」とアナウンスしていただきたい。 電車の中で大声で「だべって」いるのは若者ばかりではない。酔っ払って良いご機嫌のサラリーマンの「おじさん」だって、ブランドものの紙袋を振る下げ素早く空いてる席にお尻を滑り込ませる「おばさん」だって2〜3人集まれば、はなはだ迷惑な大声で「だべって」いらっしゃるのである。会話が迷惑だと言うなら何故「他のお客様の迷惑になりますので、お喋りはお控えください」とアナウンスしないのだ! |
鈴木 宏昌 (dangan@ppp.bekkoame.or.jp)
Hiromasa Suzuki, MD