【生い立ち】 我々の帝京大学救命救急センターは、昭和53年に東京都の3次救急医療施設である「救急医療センター」として開設されました。当時は、現在の本館6階のICU6床だけの小さな施設で患者数も少なく、スタッフも11名でスタートしたものの次第に人数も減り存続も危ぶまれた時期もありました。しかし、小林教授の情熱と努力により昭和57年に厚生省の救急医療対策事業としての「救命救急センター」へと改称され、施設も20床となり現在の救命救急センターICUの位置に移りました。その翌年には、現在の1S病棟も開設され現在の施設規模とななっています。 「救命救急センター」開設にあたり小林教授は、この「救命救急センター」を立派な大学の救急部門とするために診療と研究・教育の2つの面で大きな目標を掲げ努力してこられました。それは、
・年間収容患者数1000名 であります。前者については、開設5年にして年間収容患者数は1000名を突破し、当初の目標を達成してきました。また、教育の面でも医学部学生に対する「救急医療」の講義を開設し、全研修医の救命救急センターローテーションと言う他施設には見られない救急医療の卒後教育も行われてきました。昭和60年には、「日本救急医学会 認定医指導施設(No.20)」となり、平成2年には、全国で5番目の「日本救急医学会 指導医指導施設」となっています。 研究の面においても昭和62年に「日本外傷研究会(現在の日本外傷学会)」を設立主催し、平成6年には「第22回日本救急医学会総会」を主催し、名実共に日本国内有数の「救急医学」の中心的な役割をになって参りました。 きたる平成9年(1997年)には「日本外科代謝栄養学会総会」を、平成10年には「日本熱傷学会総会」を主催するとともに設立20周年を迎えようとしております。
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