ちょっぴりマジメな話(1):免疫のしくみ、社会の仕組み アメリカでもシドニーオリンピックの放送は楽しんで見ています。 さて、今回は自分の研究のことを少し交えて話を進めたいと思います。 現在当方は、アトランタで移植免疫の研究をしています。
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予防接種やワクチン?はしかやインフルエンザといった病気のことでしょうか?? その通りです、おおかた間違いではありません。 免疫という言葉は、歴史的には本来、 病気、特に感染症 (細菌やウイルスなどの病原体が原因で起きる病気のことです) から 身を守ることを免疫といいました。 また、この免疫に関連した出来事を研究するのが免疫学ですが、 免疫学の歴史の中で最初の特筆すべき研究は、 1798年Edward Jennerによる天然痘ワクチンに関するものです。 Jennerは牛から牛痘(天然痘よりも軽い病気です)に感染した後、 回復した乳搾り職人たちが、決して天然痘にかからないことに注目し、 牛痘の膿みを8歳の少年の腕に注射、 Jennerは二ヶ月後に少年の腕に天然痘の膿みを注射しましたが、 その少年は天然痘にはかかりませんでした。 Jennerは自分の治療をvaccinationと名付けました、 というのは牛痘はラテン語でvacciniaといったからです(ラテン語で乳牛のことはvaccaといいます)。 ちなみにワクチンという言葉はここに由来します。
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人間のからだは、正常に、具合良く機能する状態を保つように働いています。 これをホメオステーシス(homeostasis)といいますが、 免疫も、ホメオステーシスの維持のために異物を排除するように働いているのです。 基本的には、自分と自分でないもの(非自己)を認識して区別し、 非自己を排除しようと働いています。 病原体の侵入からからだを守るのもこの仕組みのおかげです。 さて、これは移植した臓器に対してもおんなじなんです。 移植医療は、機能しなくなった臓器を健康な臓器に取り替える治療のことですが、 当然その移植された臓器も、「自分ではないもの、非自己」に相当します。 したがってからだは、 自分のからだを守るためにせっかく移植された臓器をも異物として排除するように働きます。 この排除される過程、結果を「拒絶」といいます。 現在の移植医療では、 この拒絶を防ぐために患者様は免疫抑制剤を長期にわたって内服しなければいけません。 この免疫抑制剤は以前よりはずいぶんと発展してきましたが、 まだ理想からはほど遠いものなのです。 つまり、移植した臓器が異物として排除されないように、 免疫の機能を全般的に抑えてしまうのです。 その結果として、病原体や腫瘍といった異物に対する免疫反応も抑制されてしまいます。 実際、移植手術後の合併症は拒絶と感染症、また腫瘍発生が主なものです。 それでは理想的な状態は何か?といえば、 病原体などに対する免疫反応はそのまま保たれた状態で、 移植された臓器だけ排除されない状態、です。 これを免疫寛容といいますが、 当方はこれをどうやったら誘導できるか、 またその仕組みはなんだろう、といったことを研究しているのです。 ![]() そんな都合よくいくの?という声が聞こえてきそうです。 はい、その通り。 でも、なかなかうまくいかないところが、また面白いところかもしれません。 免疫では、実にわかっていないことまだまだがたくさんあるのです。 免疫反応も、基本的には、自分と自分でないものを区別して自分でないものを排除するように働く、 とお話しましたが、 その一方で、自分と自分でないものを区別するのではなく、 病原体などが侵入した危険な状態を察知して、免疫反応が働く、という考え方もあります。 移植臓器が排除される仕組み、拒絶の仕組みも完全にはわかっていません。 この細胞とこの細胞が大事な役目、この物質が大事、といったことはわかっています。 ただ、試験管のなかで説明がつくことでも、 実験動物や人間のからだのなかでは、その通りにはいかないことがいっぱいあります。 公式や机のうえの計算では2−1=1でも、 にんげんのからだというブラックボックスの中では、 2−1=2になってしまう様な感じもします。 実際、ネズミさんを使った実験で、 これは大事だ、という細胞だけ、ある薬を用いて全く無くしてしまっても、 最終的に移植した臓器は排除されてしまうことがあります。 免疫を伝達する物質にしてもそうです。 免疫反応では、重要な役目を果たしている細胞同士が情報交換するための、 サイトカインという物質があります。 いくつも種類があるのですが、 これがまた、いろんなサイトカイン同士で役目が重複しているため、 一つをコントロールしたからといって、決して拒絶を防ぐことが難しいのです。 ![]() この辺、実に人間のからだはうまくできています。 細胞ひとつひとつが、その道のプロとしてちゃんと責任もって役目を果たしているのです。 だれかが欠けても替わりの細胞が頑張ってカバーしてホメオステーシスを保つ・・ また、おんなじ様な役目で無駄なように見えても、実は微妙にその役割は異なり、 決して無駄にはなっていない・・ これを称して、redunduncyといいます。 英和辞典には「冗長性」と訳が載っています。
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人間のからだのみならず、 どんな物事にも必要ではないでしょうか、 ことに危機管理体制においては・・ 無駄を排除するあまりに組織の懐の深さを失い、それが大きな損失につながる・・・ 昨今の東海村事件、雪印食中毒事件など・・ 1990年代喪失の時代のつけでしょうか、 それともアメリカ資本主義・合理主義の猿まねのためでしょうか、 かつての日本では、 営利追及だけではなく顧客への質の高いサービス、製品を提供することを念頭において、 どの社会組織にも「職人」がいて、 合理性では計れない能力を発揮していたのではないでしょうか、 その存在は無駄ではなく、 組織の柔軟性につながっていたのではないでしょうか。 ・・いずれにしても、われわれは、この深遠たる人間のからだの仕組みから学ぶことはいっぱいあるように感じます。 ---------------------------------------------------------------------------------------------
2000.10 |