「POLITICAL CORRECTNESS」


Political correctnessって、なに?

(1)

言うまでもなくアメリカは他民族社会です。
「サラダボウル」と例えられるその社会には、
多くの民族的、文化的、宗教的背景をもった人たちが生活しています。
当然そこには異なる背景を持つ人同士で誤解やあつれきが生まれます。
そういったことに気をつけよう、ということから生まれた概念がpolitical correctnessです。
日本にはこの言葉はないと思います。
今回はこれについて少し触れたいと思います。
 Oxford英英辞典によれば
Political correctness:
the avoidance of language or behaviour seen as discriminating against or offensive to certain groups of people
とでています。
念のため訳しておきます。
「ある一定のグループの人たちに対する差別的、
攻撃的な表現(ことばや態度)をしないようにすること」

なんだか良く解らない人もいると思います。
日常の場では、politically correctまたはpolitically incorrectといったように使います。

例をあげます。
「あいつは日本人だからばかだ」
これはpolitically incorrectです。

「のび太は英語が話せないからばかだ」
これはpolitically correctです。

「ボクはあいつが嫌いだ」
これはpolitically correctです。

「ボクはあいつが嫌いだ、だってゲイだから」
これは難しいところですがアメリカではpolitically incorrectになります。

大体解りましたでしょうか?

ある一定の文化的な背景や民族的な背景、
またその人の嗜好、趣味などを理由に差別的な態度や発言をすると、
それはpolitically incorrectとなります。
つまりは偏見
に基づく差別をしてはいけないよ、ということです。
さて、アメリカの現場はどうでしょうか。
以下は実際のアメリカの例です。
ボクが人から聞いた話、ラボで同僚が話していたことを直接聞いた話、などです。

 

 

(2)

ある女子大生がカレッジで自分がレズビアンであることをカミングアウトします。
そして、同性愛者、さらにマイノリテイに対する差別解放運動に立ち上がります。
その後彼女はカレッジを卒業して就職、男性と結婚しました。
こう書いてみるとなんてことはない話かもしれません。
しかし、うがった見方をすれば彼女はPolitical correctnessを利用したとも言えます。
ひとつはマイノリテイに対する解放運動家として活動するためにPolitical correctnessを利用したこと。
ふたつめは、会社にとっては彼女の能力が採用するには足らないものだったとしても、
もし不採用としたら「私はレズビアンだからこの会社に不採用になった」と訴えられることです。

   

 

(3)

ちょうど2000年大統領選挙の時でした。
同僚に大統領選について質問しました。
「ヒラリークリントンは将来アメリカ大統領になるかな?」
上品で寛容な同僚(民主党派、白人)はこう答えました。
「うーん、どうかしらね。彼女は非常に頭がいいけど、強い女性だからねえ。
アメリカ人はあまり強すぎる女性は好まないからどうかしらね。難しいと思うわ。」
仲のよい、そこそこ何でも話せる同僚(共和党派、白人)に同じ質問をしました。
「無理だね。今までのアメリカ大統領をみればわかる。
すべて白人で男だよ。だからヒラリーは大統領にはなれない。」
「でもコリンパウエルの例があったよね。」
「あれは党内大統領候補選に対立候補として出ただけだろ。
今回副大統領候補として大統領選を戦えば
また少しは状況も変わったかもしれないけどね、ま、無理だな。」

 

(4)

おんなじ頃、ランチブレイクの時にラボで白人の同僚ふたりが別 の同僚をからかってました。
そのからかわれていた同僚はチャイニーズアメリカン(お母さんがチャイ ニーズ)です。
「おい、おまえはアメリカ大統領になれるのかよ?」
「うーん、なれないね。」とチャイニーズアメリカンの彼。
「副大統領はどうだ?」
「それも無理だろうな。」 
「上院議員くらいはだいじょうぶだろ?ハハハ。」

 

(5)

先日のバーベキューパーテイで知り合った台湾系タイ人のフェローの話です。
ある日運転中に自動車がエンストしてしまいました。
車道の真ん中でエンストした彼は警察官に応援を求めました。
電話口で応対に出た警察官はまず
「What is your racial background? (お前はどの人種だ?)」と尋ねました。
フェローが「そのことが事故となにか関係あるのか?」と聞いても、
同じ質問を繰り返すだけです。
しょうがなくフェローは「I am Taiwanese Thai.」と答えました。
警察官はその答えを聞いてなにも言わずに電話を切りました。

 

(6)

こうしてみると、アメリカの日常がpolitically correctとは到底言えないかもしれません。
そうですね。
これで日本にこの言葉がないことが理解できたと思います。
日本にはPOLITICAL CORRECTNESSという概念が必要ないのです。
日本は単一民族とは言いません。
しかし、文化的背景、人種的背景のきわめて近似した社会なのです。
したがって逆にPOLITICAL CORRECTNESSを意識しない
(で知らぬうちに人を傷つける)
リスクがあるかもしれません。
したがってPOLITICAL CORRECTNESSという概念そのものが
存在することはよいことでしょう。

 

(7)

その一方でPOLITICAL CORRECTNESSが必要以上に強調されることには
いささか抵抗をおぼえます。
ボクはracist(人種差別主義者)ではもちろんありません。
しかし、白は白、黒は黒、黄色は黄色なのです。
これは厳然たる事実で変えることはできません。
おのおのの人種間で身体的な特性などが異なるのは自明です。
そして、各個人を評価するときにその因子をぬきにすることはできないはずです。
またアメリカの経てきた歴史をかんがみても、
先程の「白人男性しかアメリカ大統領になれない」という話を聞くと、
現状ではそれはしかたないのかもしれないと感じてしまいます。
「それはひどい話だ、人種差別も甚だしい」と言われるかもしれません。
ひとつたとえ話をしましょう。
クリントン前大統領がマジメに日本語を勉強し日本の文化を理解し
日本に帰化して国籍を持ったとします。
そして選挙を経て国会議員になったとしましょう。
彼の弁舌に勝てる日本の国会議員はいまのところいないと思います。
さてここで、そのままクリントン氏がとんとん拍子に日本の首相になったとしましょう。
あなたが日本人だとしてこのことに納得できますか?
全く違和感を感じませんか?
はっきりした理由はなくとも「やっぱり日本の首相は日本人の方がいいなあ」と思ってしまいませんか?
ここで難しいのはさて、それでは日本人の定義ってなんだろう、ということです。
Nationやstateといった概念を含むこの話はまたひとつの大きな問題ですので、
今回はこれ以上触れないでおきたいと思います。

 

(8)

ラボの同僚から聞いた話です。
以前の留学便りでボーイスカウトの話をしました。
最近のボーイスカウトは少々趣を異にするようです。
ボクがアメリカのボーイスカウトがさかんなことを尋ねると、
「うーん、今は昔ほどではないんだよね。」とのこと。
「へーえ、どうして?」
「全部のボーイスカウトがそうとは言わないけど、
一部のスカウトの指導者グループがゲイの温床になってるんだよね。」
「へえ!そうなんだ。
ボクはForbesに載ってるような会社の重役はみんなボーイスカウト出身って聞いてたから
いまでも盛んなんだと思ったけど。」
「うん、まあね。
別にボクはゲイを差別するわけじゃないよ。
だけど、一人の親としてさ、
自分の子供をゲイの人に指導されるかもしれないような環境に送らないだろ?」
これも厳格な意味で言えばpolitically incorrectですよね。
だけど、あなたは彼の親としての気持ちを否定できますか?
 ひとはだれしも自分がもっとも優れていると思っているわけではないでしょう。
でも自分と極端に異なる物、できごと、ひと、など異質なものに対しては理解しようとはしますが、
同化しようとはしません。
人間の体には異物を排除しようとする免疫機構があります。
ひとの心、観念、組織にも同じようなことがあるのかもしれません。

 

(9)

いろいろと書いてきました。
ボクたちは「人を差別してはいけないよ。先入観で人を評価してはいけませんよ。」
と教えられてきたはずです。
これがPOLITICAL CORRECTNESSなのでしょう。
その一方で、
すべての人間が平等である、
ということも残念ながらほんとではないでしょう。
現実社会の人種の差、貧富の差、文化の差、能力の差のなかでは、
お互いのすべての背景
(人種、性別、国籍、育った環境、生活圏、宗教、文化、教育、嗜好などなど)を
ふまえて交流して初めて、理解しあえるのではないかと思います。
逆にそれぬきにコミュニケーションをはかることはできません。
それらを無視して
「ひとはみんな同じはずだ、平等なはずだ」
と話をすすめるのはかえって危険と思います。

2002.11