II. 日本での研修を終えて Ndiouga FALL人材部長 日本には8月中旬より約2週間滞在し、東が丘看護助産学校、厚生労働省、国立国際医療センターなどでの研修に参加しました。私が参加した研修は講義や視察を通じて知識を獲得することと、振り返りなどの内省的な時間が組み合わされたものでした。日本の看護助産教育は自己学習のシステムがとてもよく整えられていると感じました。また、日本の看護助産教育は専門学校から大学へ徐々に移行しつつあり、その日本の事例はセネガルがまさに行おうとしているところで非常に参考になると感じました。日本の柔軟な保健人材管理方法は特に民間部門にとって重要であり、また、とても重要な役割を地方自治体レベルで果たしています。また、そのシステムが地方分権化されており、常に質を高めるための努力をしていると思いました。また、国立国際医療センターで行われた人間関係トレーニングの「私の窓」がとても印象に残っています。研修初日に「私の窓」で互いに自己紹介をしながら、第一の窓に「今の気持ち」、第二の窓に「今の人とのかかわり方と子どもの頃の人とのかかわり方」、第三の窓に「研修のねらい」を書きました。しかし、この時は「私の窓」を行う意味がよく分かりませんでした。研修最終日に4つ目の最後の窓に今の気持ちを記入しました。その時、「日本を去る寂しさ」「もう少し残り研修に参加したかったという思い」がある一方で、「自分の持ち場に早く戻りチャレンジしたい思い」が複雑に入り混じっているということに気がつきました。そしてこれが私の研修に対する全ての思いであり、この時、日本での研修が自分に与えたインパクトと重要さを初めて理解することができました。そして同時に自分の研修におけるミッションは完了したと気づくことが出来ました。 私は常々日本は模範にすべき国であると思っており、日本に到着した際、その思いを強くしました。「日本の奇跡」と呼ばれるものは、人間そして規律・信条を重んじてきた人々の決意に過ぎず、この2つの側面が現在の日本の発展に多大なる影響を与えてきたと考えます。 日本滞在中に出会った全ての皆さんを友だちと思っています。そして、この場を借りて皆さんに私の感謝の気持ちを伝えたいと思います。私は非常にあなた方の国、人々が大好きです。そして、あなた方の国の実例が私の国セネガルをどんどん刺激してくれるようにと願っております。
III. ダカールのラマダン(断食)寸描 セネガルでは5日からラマダンに入りました。しかしながら、ラマダンの開始日はその前日まで確定されなかったのです。前の週に誰に聞いても、「月を観測した結果決まるから、多分4日か5日だと思う。」と、なんとものんびりした答えが返ってきました。また、ムーリッド派(イスラム教の一派)はラマダンを翌日の6日から開始するという、同じ国で同じ月を観測しているのに結果が違う(?)という、これもまた不思議なことが起こっていました。 ラマダン中(1ヶ月間)は、朝6時までに食事を終え、夕方の7時までは飲食をしないという厳しい生活が行われます。ラマダンは最初の1週間が大変つらく、その後徐々に身体が慣れて日中飲食しなくても平気になるそうです。セネガルの断食開始年齢は、「子供自らが『出来る』と自信を持った時に断食を始めるので、開始年齢に関する決まりは特にない。」ということでした。それでも、大体10−12歳くらいから始めることが多いそうです。 ラマダンに入り大きく変わったことは、夕方のスーパーが込み合い、レジ待ちの長蛇の列が出現するようになったことでしょうか。ラマダンの期間は日没後(7時以降)にパンなど普段は朝食に食べるものを食べるので、それらを買い求める人が夕方スーパーに殺到しているのです。英語でBreakfastとは、fast(断食:夜間睡眠中は断食状態)をbreak(中断)するものですから、ラマダン中その日の断食を中断するもの(Breakfast)として、いつもの朝食を食べるのも道理と妙に納得がいきました。そして、夜の10〜11時頃には、再び通常の食事を摂るのだそうです。一日の断食明けに食べるもの、その回数はその家族のエスニック、住む場所(都市か村か)によって異なるそうですが。 「ラマダン中は仕事にならないのでは?」とよく聞かれますが、セネガル人に関しては「否」と言えるでしょう。昼休みをとらない分、夕方は早めに帰宅できるようにしている企業もあるそうですが、ラマダン中でも出張も会議も通常と同じようにこなします。一緒に出張したり、会議を行ったりした場合、昼食抜きで続行される会議などで日本人の方が先にへばってしまうことも多々ありま。
2006.02A