II. 金は天下のまわりもの−お金の行方− 酒井雅義専門家 セネガルのイスラムは非常にユニークである。特にセネガルを起源とする教団で、国内で多数派を占めるムーリッドは、異端といえるほどの独自性を持っている。今回はムーリッド教団を紹介したいと思う。なお、ムーリッド教団に関する記述は「可能性の国家誌」の受売りです。 ムーリッド教団が設立したのは1886年、いまから120年前のことである。バンバの教え、ムーリッドの教義の核となるのは「労働とは祈りの形態である」という労働思想であり、日々の労働そのものが徳を積む行為、つまり祈りであるとする点である。さらにムーリッドの教義は「規律」を信徒に求める。この規律とは信徒はマラブー(イスラム導師)に帰依し、絶対的に服従することを指す。マラブーは信徒と神を仲介する存在であり、教徒の労働の成果の一部を受け取る権利があるとされ、マラブーにとって非常に都合の良い教えともいえる。当初ムーリッドの教義の実践の場となったのが「ダーラ」と呼ばれる農業共同体であった。ダーラではマラブーの指導のもと5歳から15歳位のターリベ(信徒)が親元を離れ住込み、落花生栽培を行ないつつ共同体を形成した。収穫した落花生は市場で売られ、教団に富を運んだ。仏植民地政府がマラブーの力を必要としたのは経済的に安上がりで、かつ統治の上で有益であったためである。一方、60年のフランスからの独立後、新政府はマラブーに対抗できるだけの経済力も、統治能力もなく、教団との関係は「もちつもたれつ」にする以外なかった。政府は民衆からの政府批判や地方で暴動が起きないよう指導してもらう代わりに国有地を教団に譲渡した。 独立以前にはダカールにはムーリッドが住居する区画はなかったといわれる。都市に入ってきたムーリッドは「ダヒラ」と呼ばれる組織を作り、ダヒラを通しマラブーへの献金を行うようになった。1970年、1980年代を通じてムーリッドの勢力基盤は地方から都市へ移り、ダヒラも各地方都市で形成された。都市に定着したムーリッドは商業の領域、インフォーマル・セクターで活躍し始める。その活動領域はセネガル内に止まらずアメリカ、フランス、イタリアにも進出し、「ムーリッド商人」として本国との絆を保ちながら活動している。パリの観光地でエッフェル塔の模型やアフリカの民芸品を売っているアフリカ人がムーリッド商人である。 現在ではムーリッド教団は経済、政治にも大きな影響力を与えるほど強大となっている。イメージとしては国家の中にムーリッドを信奉する国家が出来上がっている感じでさえある。政治的には現大統領は熱心なムーリッド(大統領就任後にムーリッドになったと噂される)であり、経済的には教徒がインフォーマルセクターを牛耳っている。ムーリッドの最高権威者がYESといえば、例え大統領がNOと言っても信徒は教団に従うであろう。信者から教団への献金の流れは出来上がっている。例えば小型バスを使ってダカール市内に行き、路上販売人からTシャツを買い、屋台で食事をしタクシーで家に戻るとする。インフォーマルセクターに属する小型バス、路上販売人、屋台、タクシーへ支払ったお金の一部は信徒を介し、教団へ流れ込む。天下の回りものであるが、ここセネガルでは、好むと好まざるに関わらず、お金はムーリッド教団へ流れる仕組みとなっているのだ。
2006.08B