9月
「108秒の闘い」
今回はのび太パパの文章を紹介したいと思います.
のび太パパは重工電気メーカーのエンジニアでした.
火力発電所などの設計をしていたように思います.
のび太パパには,のび太とおんなじ趣味がありました
(のび太にのび太パパと同じ趣味がある,というのがホントでしょうか),
スポーツ観戦です.
のび太パパは,甲子園,プロ野球(巨人ファン),社会人野球,ラグビー(大学,社会人,花園),
そしてアメリカンフットボール,さらにはマラソン,駅伝,相撲,と大好きでした.
どれもテレビ中継は必ず観ていましたし,
休みの日には,近所の慶應大学ラグビー部のグラウンドに練習を観に行ってました.
さて,そんなのび太パパの文章をひょんなことから見つけました.
なかなか良い文章なので紹介したいと思います.
その内容ですが,何事にも通じる話,
のび太たちの分野でいえば,
手術しかり,研究しかり,と思います.
■■■ 「108秒の闘い」 ■■■
平成5年1月3日,
東京ドームの4万9千人は第11回日本選手権ライスボール(第47回ライスボール)に沸いた.
第4クオーターで学生代表の関学が遂に逆転した.
クオーターバック(QB)芝原のパスをエンドゾーンで
ワイドレシーバー(WR)植村がキャッチしタッチダウン,
トライ・フォア・ポイントも決まった.
16―21シルバースターのリードから逆転,
23―21となり,残り108秒,
3度目の挑戦で初のライスボールの栄冠は関学に輝いたかに見えた.
しかし,ここからシルバースターの本領が発揮された.
そのシリーズはシルバースター陣29ヤードから始まった.
タイトエンド脇田へのパスで17ヤード前進してフレッシュダウン(シルバースター陣41ヤード).
次いでファーストダウン,QB東海のランで8ヤード獲得(シルバースター陣49ヤード).
サードダウン,WR鈴木へのパス成功で関学陣27ヤード地点に達した.
シルバースターの戦法は,
少しでも前進してフィールド・ゴール,
24―23の再逆転を狙うものとみられていた.
関学のディフェンスもそれに対する布陣だった.
ファーストダウン,QB東海にボールがスナップバックされたのが36秒前,
東海よりエンドゾーンの手前に走り込んだランニングバック野村に27ヤードパスが決まり,
野村は1人のマークをはずしてタッチダウン.
トライ・フォア・ポイントのキックも決まり28―23.
残り31秒で関学の喜びは夢と消えた.
『モンタナ・マジック』ならぬ『東海・マジック』の実現であった.
サッカーでもこのような最後の瞬間の大ドラマが展開された.
平成5年10月28日,
カタール・ドーハ,アルアリスタジアムでの‘94年USA WORLD CUPアジア地区最終予選,
日本代表対イラクの試合, 固唾を飲んで見守っていた.
サッカーファンでない人たちまでも,深夜,テレビの衛星中継に釘付けになり日本代表に声援をおくった.
日本最後の試合,2―1でリード,勝利の瞬間,アメリカへの道を待っていた.
『アルアリスタジアムの時計が90分を回り,ロスタイムがおとずれる.
誰もが日本代表の勝利を確信した瞬間だった.
イラクの最後の攻撃となる右コーナーキックが日本ゴール前に届くと,
長身のオムラムが頭ではたくようにシュートする.
ボールは僅かなカーブを描きながらゴール右隅に吸い込まれていった.
時間の流れがとまってしまったような静寂がスタジアムを包んだ.
数秒後,
ゴールのネットをゆらゆらと揺らしているボールを選手たちがその目で確認した瞬間,
彼等の絶叫がグラウンドの上を響きわたった.
終了間際の失点とともにW杯出場の悲願は熱砂の大地に消え失せていった.』
・ ・・・・サッカーダイジェスト11月24日号より・・・・・
2―2の引き分けながら,負けた,という落胆であった.
公式記録には「得点90分:オムラム」と記されている.

その他.
8月22日,
同じ欧州予選第6組のスエーデン対フランスの試合がスエーデン,ラスンダスタジアムで行われた.
77分(後半32分)フランスが1点を入れ,
第6組の予選を突破したと思われた.
『太陽はすっかり地平線に近づいた.
フィールドに生ずる長い影はゾッとするほど暗示的であった.
フランスは夕日とともに去ろうとしている.
主将として頑張ってきたテルンがゴール前にパスを入れた時,
時計は限りなく90分に近づこうとしていた.
主将として,そしてスエーデン人として祈りを込めたラストパスだった.フィールドにいた,
たった1人の黒人選手が弾丸のような勢いで飛び込んだ.
スタンドは息をのみ,そして爆破した.
フランスの白いユニフォームが立ち尽くしていた.
スエーデンは生き返った.』
・ ・・・・サッカーダイジェスト10月16日号より・・・・・
公式記録には,「得点89分:ダーリン」と記されている.
ラグビーでも同じシーンが数年前にあり,
全国社会人大会の語り草になっている.
平成3年1月8日,第43回全国社会人大会決勝,神戸製鋼対三洋電機の試合.
時間は後半40分.
得点は12―16で三洋がリード,
ノートライの神鋼は敗色濃厚であった.
あとはロスタイムのみだ.
スクラムから左へ展開,藪木,平尾,細川そして藤崎と回ったところでつぶされるが,
ラックでボールをつなぐ大西が左サイドを突いて再びラック.
ここでSH藪本が今度は右に回した.
SO藪木はパスを受け倒される直前に右オープンへ.
そのワンバウンドパスを平尾がよく拾った.
その外に細川とウイリアムス.三洋のマークはナモア1人.
タックルぎりぎりでの平尾の飛ばしパスをノーマークとなったウイリアムスがキャッチ,
タッチライン沿いに走る.
追いすがるナモアを振り切ったウイリアムスは
約50m疾走しインゴールに回り込み中央に同点のトライを決めた.
観衆は総立ちとなった.
細川が逆転のゴールキックを成功させると,
真下レフリーのノーサイドの笛が鳴った.
1月15日,
明大と日本選手権を闘いV3を達成した神鋼は,
本年(平成5年)も日本選手権に勝ちV6を達成し,
公式記録65連勝中である.
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中国の書経に次のような言葉がある.
九仞功虧一簣
「九仞の功を一簣に虧く」
九仞(72尺,約15―20m)の高い山を築くのに,
最後のもっこ(簣)ひとかき分の土を欠いても完成しない.
転じて,
長い努力も終わり間際のわずかな油断失敗ひとつで完成しないの意.
また,徒然草(1330)のなかで兼好法師はこんな話を書いている.
「第109段:高名の木登り」
高名の木登りといひし男、
人を掟てて、高き木に登せて、梢を切らせしに、
いと危く見えしほどは言ふ事もなくて、
降るゝ時に、軒長ばかりに成りて、
「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、
「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、
「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。
あやまちは、安き所に成りて、必ず仕る事に候ふ」と言ふ。
ある木登りの名人が人を木に登らせて梢を切らせた.
高いところで危なっかしく作業をしているうちは名人は黙っていた.
ところが,
相手が仕事を終え,
軒の高さくらいまで降りてきた時になって初めて,
「落ちるなよ,用心しろ」と声をかけた.
「ここまで来たら,もう飛び下りても大丈夫ですよ」とこたえると,
名人は
「それがいかんのだ.目がくらみ,枝も折れそうな高いところでは,自分から十分に用心して仕事をする.
だから私はなにも言わなかった.
もう安全だ,と思うまで降りてきたときになって,
きまって事故がおこるものなのだ」
失敗は,油断大敵,心の緩みにある.
取り返しのつかない失敗を招きがちな人間心理は,
今も昔もかわりがない.
我々も仕事の最後のつめを大事にしたい.
設計者は最後の筆をおくまで,
品質保証担当者は電源『オフ』のキイを操作するまで,
自動車のドライバーは運転席を離れるまで,
集中力を持続させたいものだ.
(平成5年:白杉 茂)
2006.09