潜水による障害
[[ STEP-1 (診断と病態) ]]
アメリカではスキューバーダイビングの人口は400万人にものぼり、年間10%増加しつつあるという。本邦でも若者の間にスキューバーダイビングの人気は高く急速に増加しつつあると思われるが、安価であることから海外で免許を取得するものが多く、ダイビング人口の実数は不明である。潜水作業、ダイビング、スキューバーダイビングなどによって起こる生体障害は「潜水病」あるいは広義の「減圧症」に当たるもので次のような障害があげられる。
- 聴覚器損傷、副鼻腔損傷、歯痛
- 空気塞栓
- 減圧症(decompression sickness = dysbarisum)
潜函病、潜水病(caisson disease)とも呼ばれる
- 窒素酔い(nitrogen narcosis)
これらの病態を理解するには次の3つの物理学的な基本法則が重要である。
海面上での気圧は1気圧(ATA:atm absolute)で、1.033kg/cm^2 あるいは 760mmHg に相当する。これは水柱では 10.06m に相当し、すなわち 10m 潜水する毎に1気圧圧力は上昇する。通常、スキューバーダイビングは2〜6気圧の範囲で行われていることが多い。
- Boyleの法則
V = K / P
気体の体積(V)は圧力(P)と反比例の関係にあり、気圧が2倍になれば圧力は1/2になる。逆に、3気圧減圧すると気体の体積は3倍に膨張する。これが圧力そのものによる損傷の原因となる。
- Daltonの法則
前に記したように(高地障害症候群)、全体の圧力は各混合気体の分圧の和であるから、気圧が上がった場合には酸素分圧も上昇するが窒素分圧も上昇する。
- Henryの法則
理想気体の液相への溶解率はその気体の分圧に比例する。このことは、分圧の高いものほど溶解量が多く、窒素分圧が2倍になれば血中や組織中の窒素溶解量も2倍となり、逆に窒素分圧が1/2になれば溶解可能な窒素量も1/2となるため溶解できなくなった窒素が気泡となって出てくることを示している。
これらによって引き起こされる生体障害は次の2つ機序によると考えられる。
- 圧力による直接の障害
(圧外傷:barotrauma)
Boyleの法則から、外界と遮断された気体の空間が外部環境と遮断され圧較差が生じれば周囲組織の損傷を来すことが容易に理解できる。この現象によって障害を受けやすいのは聴覚器と副鼻腔で、加圧時(潜水時)にも減圧時(浮上時)にも起こる。しかし、最も致命的で重要な損傷は肺の圧外傷とそれに伴う動脈空気塞栓症である。
- 聴覚器の圧外傷
外耳 (external ear squeeze, barotitis externa)、中耳 (middle ear squeeze, barotitis media)、内耳 (inner ear barotrauma)ともに圧外傷を受ける。
中耳が最も損傷を受けやすい。特に上気道炎など鼻腔の炎症や浮腫により耳管(eustachian tube)の閉塞があると、鼓室内と外界との圧較差が生じる。鼓室は周囲が骨性構造で囲まれているため伸展性がなく、圧外傷を受けやすい。中耳の圧外傷は潜水時(加圧時)に起こりやすく、耳管の閉塞があると鼓室が相対的に陰圧となり、壁粘膜の浮腫、滲出、出血が起こり最終的には鼓膜穿孔となる(ear squeeze)。中耳の圧損傷は臨床的に[表2-1]のように分類される。稀に浮上時(減圧時)にも圧障害を受ける(reverse squeeze)。しばしば一側性でめまいを伴う。
内耳も圧外傷を受けることがある。本来内耳腔は液体で満たされ蝸牛窓と前庭窓で中耳と接しているが、潜水時に相対的に陰圧になっている中耳に対して「いきみ」のどによって急激に内耳腔内の圧が高まると蝸牛窓が破れ髄液が漏出する。潜水時、突然の嘔気、嘔吐、めまい、眼振、聴力喪失が起こる。他覚的には中耳内出血が見られ感音性難聴である。減圧症(DCS)による窒素気泡による内耳障害と処置が異なるため鑑別が重要である。内耳圧外傷は潜水中に突然発症する点が異なっており、基本的に髄液の漏出があるので、頭部を30〜40度挙上した肢位で床上安静すべきである。保存的治療か外科的治療かは意見の分れるところであるが聴覚回復の可能性は少ない。
更に稀には外耳の圧外傷も起こり得る。耳垢や耳栓などにより外耳腔が外界と隔離されている場合に起こり、症状は耳痛で、治療は耳垢や耳栓を除去すればよい。
- 副鼻腔の圧損傷
副鼻腔も外界との交通が遮断されると圧外傷を受ける。慢性副鼻腔炎、鼻中隔彎曲、ポリープなどがあると起こりやすく、前頭洞>篩骨洞>上顎洞の順に多い。突然の疼痛で発症し、他覚的には顔面(前額部、頬部)の圧痛、粘膜の肥厚、X線で副鼻腔に水面形成が見られる。数日で回復する。
稀に減圧時に起こる歯痛(aerodentalgia)も同様にエナメル質内の微少は気体が減圧により膨張するためと考えられている。
- 肺の圧外傷
上昇時に息を堪えたり、気道の一部に閉塞や狭窄がある場合、肺胞の過膨脹を起こし、種々の圧外傷(barotrauma)を引き起こす。肺過圧症候群( pulmonary overpressurization syndrome )または破裂肺( burst lung )と呼ばれ、肺胞内圧の上昇により肺胞が破裂し周囲組織に空気が漏れ出ることによって起こる。漏れ出た組織によって症状は様々だが、最も重篤なのが肺静脈系に漏出することによって起こる動脈空気塞栓症 (arterial gas embolism: AGE)である。実験的には肺胞の破裂は肺胞内圧が80mmHgを越えると起こると言われている。これは水中圧にして水深1m足らずであり、通常起こらないが、浮上時にパニックを起こして呼気をせずに急速に浮上したときなどに起こる。
- 肺間質気腫
(pulmonary interstitial emphysema)
- 肺胞出血
(diffuse alveoral hemorrhage)
- 縦隔気腫
(pneumomediastinum)
- 心嚢気腫
(pneumopericardium)
- 腹膜気腫
(pneumoperitoneum)
- 皮下気腫
(subcutaneous emphysema)
以上の損傷は致死的となることはなく、気道の確保のみで自然消失することが多いが、AGEの約40%に縦隔気腫を伴っていることからAGEの随伴症状として重要である。
- 気胸
(pheumothorax)
稀ではあるが肺門から漏れ出た空気により気胸となることがあり、両側性であることが多い。緊張性気胸となることは更に稀だが、一般的な気胸に対する治療(脱気、胸腔ドレナージ)で治癒する。AGEに合併することは5%に過ぎない。
- 動脈空気塞栓症
(arterial gas embolism: AGE)
最も重篤な障害で、肺の過膨脹により肺胞が破裂し肺静脈から左心系に空気塞栓が起こるもので、閉塞動脈により症状は様々だが重篤なのは脳塞栓と心筋梗塞である。浮上時には立位であるため脳塞栓となる危険性が高い。一般的な脳塞栓と同様閉塞部位と範囲により、頭痛、めまい、知覚障害、片麻痺、失語、痙攣、昏睡となり得る。冠動脈の閉塞が起これば、不整脈、胸痛、心停止を起こす。AGEは、浮上中あるいは直後(5分以内)に突然発症することが、減圧症による体静脈系の空気が卵円孔を通じて起こる動脈空気塞栓と大きく異なる点である。
- 溶在ガス分圧による障害
- 窒素酔い
(nitrogen narcosis)
吸入気圧の上昇とともに溶在窒素(N2)が増加する。溶在窒素や脂溶性ガスは麻酔作用がある。丁度飲酒したのと同様な症状が現れる。多くは20mから30mの深度で感じ始め、45m以下ではほとんどが障害され、15m深度が増す毎にドライマティーニを1杯飲むのに匹敵すると言われる。60mを越えると活動ができなくなり、90mを越えると意識障害と来たす。したがって、45m以上深く潜水する場合には窒素を一部ヘリウムで置換したガスを用いる。この麻酔作用は深さ(窒素分圧)に比例し、上昇とともに二日酔いすることなく覚めてしまう。問題なのは酩酊様状態で判断能力を失い、他の事故を引き起こす可能性があることである。
- 酸素中毒
(oxygen toxicity)
通常のスキューバーダイビングでは起こり得ないが、深海(>90m)に潜水し酸素分圧が高くなると痙攣を起こす。
- 減圧症
(decompression sickness: DCS)
一般的に潜水病と呼ばれるもののほとんどは DCS による症状である。潜水後に起こってくる四肢の疼痛を俗称「ベント(bends)」と言うが、しばしば「ベント」は減圧症全体を指しこれによる死亡も含めて使われている。また、「チョック(chocks)」は潜水に伴う胸部症状を主体とした俗称で、胸骨下の疼痛、咳嗽、呼吸困難などの症状を指す。これも、病態の主体は静脈系の気泡による肺塞栓であり、発症時期から AGE とは区別される。[表-2-2]
- 原理
窒素分圧の上昇により血中や組織中に溶在した窒素が減圧とともに過飽和状態となり気泡化して組織内や静脈系に溶出し空気塞栓を起こすことが本体と考えられている。したがって、浅い水深では起こり難く、10m 以内の水深で起こることはないと言われている。
- 分類
減圧症は一般的に[表-2-3]のごとく分類される。
Type 0 は皮膚症状のみで、掻痒感、大理石模様出血斑が見られ皮膚細静脈ーリンパ管の気泡塞栓による。
Type I は関節痛と筋肉痛のみであるが、Type IIの30%が関節痛を伴っており、関節痛があればType II の可能性を考えなければならない。
Type II は神経症状を伴うもので、中枢神経障害に伴ったものもあるが脊髄損傷による神経症状が多い。圧損傷とことなり発症は遅く、50%が浮上後1時間以上経過してから発症する。患肢の焦熱感、ピリピリする知覚過敏に始まり、しびれ、筋力低下、麻痺へと進行する。障害脊髄レベルは不特定多発で両下肢が多い。
[表-2-1] 中耳圧外傷の臨床的分類
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臨床症状
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耳鏡所見
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治 療
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自覚症状のみ
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耳痛、伝導性聴力障害
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なし
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消炎剤局所投与、症状消失まで潜水禁止
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自覚症状+耳鏡所見
(鼓膜穿孔のないもの)
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耳痛、伝導性聴力障害
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鼓膜発赤、中耳内液体貯留、出血
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消炎剤局所/全身投与、鎮痛剤
抗生剤(ampicillin, erythromycin, cephalosporin)
(予防的投与はcontroversial)
症状、耳鏡所見回復まで潜水禁止(2週間以上)
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自覚症状+耳鏡所見
(鼓膜穿孔を伴う)
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耳痛、伝導性聴力障害、めまい
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鼓膜穿孔
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予防的抗生剤投与行なうべき
耳鏡所見、聴覚検査回復まで潜水禁止
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[表-2-2] 減圧症(Decompression Sickness)と動脈空気塞栓症の違い
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特 徴
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減圧症 (DCS)
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動脈空気塞栓症 (AGE)
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原 因
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組織中溶在窒素の溶出
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肺胞破裂による肺静脈への漏出
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リスク
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規定以上の深度と時間
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浮上時に息をこらえる 非交通性の肺胞、浅くても起こる
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気泡と部位
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窒素、組織中および静脈中
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空気、体動脈血流中
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発症と症状
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通常6時間以内 (数分後から48時間後)
通常疼痛と知覚障害、対麻痺
重症ではショックやAGE同様の症状
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浮上数分以内
意識障害、脳塞栓による神経症状(片麻痺)
心筋梗塞、心停止
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決定的治療
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高圧酸素療法
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TABLE 1. COMPARISON OF ARTERIAL GAS EMBOLISM (AGE) AND DECOMPRESSION SICKNESS (DCS): SCUBA DIVING EXPLAINED: Questions and Answers on Physiology and Medical Aspects of Scuba Diving: Lawrence Martin, M.D., Section G. Effects of Increased Dissolved Nitrogen From Scuba Diving: Decompression Sickness (http://www.mtsinai.org/pulmonary/books/scuba/sectiong.htm) より引用改変
[表-2-3] 減圧症(Decompression Sickness)の病型
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Type
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主な障害
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症 状
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Type 0
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皮膚症状のみ
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掻痒感、発疹、出血斑(大理石模様)、知覚異常
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Type I
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関節痛・筋肉痛(bends)のみ
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関節痛(肩>肘>膝>股関節など)、筋肉痛(腕>下肢)
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Type II
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呼吸循環器症状(chokes) 中枢神経症状
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胸内苦悶、呼吸困難、ショック、チアノーゼ
脊髄→知覚・運動麻痺、排尿障害
脳→意識障害、視力障害など
内耳-眩暈、悪心、聴力障害、その他-腹痛
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Type III
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内耳損傷
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眩暈、悪心、耳鳴、聴力障害(耳痛を伴わない)
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Type IV
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骨損傷(無菌性骨壊死)
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関節痛
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山内 教宏: 環境異常.標準救急医学. 医学書院, 東京, 1991, pp 302-312.より改変
[[ STEP-2 (治 療) ]]
いづれの病型にしても決定的治療法は高圧酸素療法である。しかし、高圧酸素チャンバー(hyperbaric chamber)を保持する施設は多くない。米国ではDiving Accident Network(DAN: 919-684-8111)があり治療施設の助言が得られる。我が国でもDANの日本事務局(〒171 東京都豊島区目白1-3-8 DANJAPAN事務局 TEL 03-3590-6501 FAX 03-3590-8325)がありインターネットでも全国の加圧治療可能施設を公表している。
- Choice-1:
高圧酸素療法が可能になるまでの初療としては、
- 体 位
立位や坐位は禁忌で、患者は救出後も輸送中も仰臥位を保つことが薦められる。Trendelenburg体位など頭部を低くする体位は脳浮腫を助長するため薦められない。
- 気道確保
意識障害や上気道閉塞(縦隔気腫など)があれば気管内挿管により気道を確保して搬送に備える。
- 酸素投与
まず、第一に行なうべき初期治療は100%酸素の投与(酸素マスク6〜8L/min)である。高濃度酸素の投与は窒素を追い出し気泡を縮小化し、組織低酸素症を改善する。
- 輸 液
一般に DCS では2次的に起こってくる血管透過性亢進による hypovolemia となっているので血管確保とともに輸液を行なう。
- 薬物療法
血管性脳浮腫や脊髄の浮腫に対するステロイド (dexamethasone 12mg iv)や消炎と血小板凝集抑制の効果を期待したアスピリン(aspirin 600mg〜1gm/day)、抗凝固療法としてのヘパリンやウロキナーゼなどが試みられるが、いづれも確たる有効性の評価がなされていない。抗凝固療法は出血の可能性もあり適応が疑問視されている。
- 輸送方法
迅速な陸上輸送が理想的であるが、航空機輸送を必要とするときには機内の気圧を1気圧に保持しないと気泡は大きくなり症状を悪化させる。機内圧が保持できないヘリコプターなどでは300m以下の高度で搬送する必要がある。
搬送にあたって、気道の確保、静脈路確保、心電図モニター等を確認する。
- Choice-2:
高圧酸素療法:
高圧酸素療法の目的は、再加圧による組織内気泡の縮小と酸素分圧を上昇させることによる組織低酸素症の改善である。加圧する気圧と時間、回数などは潜水時間や水深から設定される。速く開始されれば速いほど予後は良いが、時間が経ってから(10日以上)でも回復の可能性があり、諦めずに行なうべきである。
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